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歴史と沿革


設立認可願書
衆議院議員・吉津度医師によって提出された当時の「大阪高等医学専門学校設立認可願」

病院本館
病院本館(昭和28年頃撮影)

阪急高槻市駅上空から見た附属病院全景
阪急高槻市駅上空から見た
大学全景


手術風景
手術風景

附属看護専門学校の新校舎と講堂
附属看護専門学校の新校舎と講堂

新総合棟(病院7号館)東面
新総合棟(病院7号館)東面

新講義実習棟(PA会館)東面
新講義実習棟(PA会館)東面
昭和2年(1927年)4月1日
日本初の5年制医学専門学校として「大阪高等医学専門学校」開校

既存の医学部、単科医科大学および4年制の医学専門学校のほかに、新しい医育教育機関を求める気運が高まっていた大正末期、当時、衆議院議員であり、医師でもあった吉津度は、5年制医学専門学校という構想のもと、その設立に全精力を注ぎ、昭和2年4月、わが国初の5年制医学専門学校「大阪高等医学専門学校」を開校しました。
初代理事長には吉津度が、理事には太田光熈(京阪電鉄社長)、松島寛三郎(京阪電鉄取締役)が、校長には足立文太郎(解剖学)が就任し、教授陣として京都大学、大阪大学を中心とした新進気鋭の学者らが迎えられました。



昭和5年(1930年)5月15日
「三島病院(現・附属病院)」開院

昭和5年1月、大阪市東淀川区下新庄にあった仮校舎から、大阪府三島郡磐手村古曽部(現・高槻市大学町)に完成した、ヴオーリズ建築によるサラセン様式の新校舎に移転。5月には、附属病院の前進である三島病院が同地に併設されました。当時は2階建ての1棟(外来、病棟120床)のみでしたが、昭和10年代に入って、事務室、薬局、病棟などが順次建設されていきました。

ヴオーリズ建築による本館
ヴオーリズ建築による本館



昭和27年(1952年)2月20日
「大阪医科大学」設置認可(新制大学)

昭和21年に旧制大学令による7年制の「大阪医科大学」が開校。昭和27年には新制度が採用され、現在の大阪医科大学が認可されます。昭和31年には学位規程が制定され、昭和34年には大学院医学研究科が、さらに昭和40年には医学進学課程が設置されました。



昭和32年(1957年)8月1日
「総合病院」承認

100人以上の患者を収容できる施設と、内科・外科・産婦人科などを含む診療科や定められた施設をもつ病院として、大阪府知事より「総合病院」の承認を受けました。



昭和35年(1960年)
本格的な増築計画がスタート

さらなる地域貢献をめざした本格的な病院増築計画が開始。まずは病院1号館(中央手術室、病棟3棟)がこの年に完成します。ついで昭和39年から43年にかけて、2・3号館(事務室、放射線科、中央臨床検査室、内科系病棟など)と外来棟が増築されました。



昭和43年(1968年)4月1日
「臨床研修指定病院」指定

医学の道をめざす学生たちが優れた教育環境で現場研修がつめる施設として、厚生省より「臨床研修指定病院」の指定を受けました。またこの年、京都大学化学研究所跡地を取得し、本部キャンパスの面積が倍増。これにより、より充実した施設増築が可能となり、以後、昭和49年から52年にかけて病院5号館(外科系病棟、病院給食施設)と中央診療棟(ICU、中央手術室、放射線科、中央検査部)が、さらに、56年に病院6号館(外科系・精神神経科系病棟、リハビリテーションセンターなど)が建設され、翌57年には病院管理棟が完成。これにより、現時点での附属病院の全容が構成されました。



昭和63年(1988年)3月29日
「臨床修練指定病院(外国医師・歯科医師)」指定

日本での開業を希望する外国人医師および歯科医師に対して、臨床修練の場を提供する「外国医師・歯科医師臨床修練指定病院」として厚生省より指定を受けました。



平成6年(1994年)2月1日
「特定機能病院」承認

「500人以上の患者を収容できる施設」と「高度の医療提供」「高度の医療技術の開発および評価」「高度の医療に関する研修」が行える病院として、厚生労働省より「特定機能病院」の承認を受けました。これにより、地域に密着した大学病院として、さらに高度な医療の提供と高度医療技術の開発ができるようになりました。
「特定機能病院」についての詳細はこちらへ



平成7年(1995年)11月28日
「エイズ拠点病院」指定

急増するHIV感染者やエイズ患者が安心して医療を受けられる「エイズ拠点病院」の指定を受けました。また、この年の1月に起きた阪神・淡路大震災では、学内救済措置と共に、現場へ医療救援チームを派遣し、被災者の心身ケアにあたりました。



平成9年(1997年)3月25日
「災害拠点病院」指定

阪神・淡路大震災を契機に、厚生省により災害時の医療体制の充実化が図られ、災害時に救命医療を行える診療機能と施設などを有する病院として、大阪医科大学附属病院は「災害拠点病院」の指定を受けました。



平成15年(2003年)7月
地域へのさらなる貢献をめざして新病棟着工

最新鋭の設備をもつセンター構想の新病棟7号館(地下1階、地上10階)の建築がスタート。地域に根ざした特定機能病院として、今後はさらなる医療技術の充実と共に、癒しと安らぎを提供できる病院をめざします。



平成16年(2004年)12月
都市再生緊急整備地域指定

大阪医科大学が位置する当該地域は、地理的条件など利便性は群を抜いており、高槻市の代表的な施設(大学および附属病院)としてその役割を果たしています。
この度、本学本部キャンパス(53,390m2)が『都市再生緊急整備地域』に指定され、容積率が200%から400%に緩和されました。これにより、校舎・研究施設や病院施設の建て替え計画が効率的に促進でき、教育・研究・医療機能を充実強化し、市民開放や良好な都市環境の形成に資する施設整備を進め、都市機能の高度化を図ります。



平成17年(2005年)3月25日
大阪医科大学附属看護専門学校新校舎竣工

将来的に4年制大学(看護学部)への移行も視野に入れ、その教育内容に十分に対応できる校舎・施設が完成しました。ナースキャップをイメージした講堂棟がシンボルです。
平成17年4月から新校舎で看護教育(授業)が開始されています。



平成17年(2005年)7月1日
新総合棟(病院7号館)竣工

病院7号館は、1階から3階までが総合内科、内科専門外来、眼科、産科・婦人科の各外来ゾーンに、4階以上が内視鏡外科、消化器、循環器、肺・呼吸器、アイ・糖尿病、アイ(眼)、などの各病棟(センター)ゾーンとなっており、特に最上階は、高級感ただよう“癒しとゆとりの空間”が患者さまの入院生活をより快適に過ごしていただけるような仕様となっております。地域における公共性の高い中核拠点病院として、治療から社会復帰までを視野にいれた包括医療を展開し、市民病院的な医療についても地域に貢献していきたいと考えております。



平成17年(2005年)12月20日
新講義実習棟(PA会館)竣工

新講義実習棟の建設は、大阪医科大学保護者会(PA会)からの強い要請を受 けて実現したものです。医学の教育方針が大幅に変わり、それに対応するため にLAN、ITなどのインフラ整備を整え、グループ室(小教室)を45部屋設 置して、PBL(問題解決型授業)、CBT(コンピュータ上での共用試験)、OSCE(客観的臨床能力学習)などに対して積極的に導入できる環境が整備されました。


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